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アーマルドは パワージェムを つかった!

化石ポケモンにパワージェム下さい。モブ(@XXXrhsx)の雑記になってます。

アウトプット、いっこ

 2ヶ月に3本のペースで、企画に参加したことの記事や自身の行った企画への記事を書いていた自分が恐ろしい。そう感じる。

 アウトプットの量が多いと人間性に幅が出てよい。話を広げる能力か、話の引き出しの豊富さ、どちらかは身に付くからだ。このブログの今までの記事にも(昨年までに一回でも手をつけた記事にも)、ただただ該当のことを述べるだけでなく、どうでもいい日記のようなものをつけて出していた回がある。そんな日記も、アウトプット活動のひとつである。

 アウトプットで言えば、Twitterは最も簡単なアウトプットの場である。思いついた140字内の思考の雑文を投げることができる。しかし、私はアカウントの匿名性を今更ながら求めたり、あるいはアカウント自体の情報の純度を高めようとしている節が最近顕著だ。そのせいで、アウトプットの練度が下がったような気がする。Twitterで炎上するであろう発言とかは言わなくなったので、アウトプットの練度はある意味上がったかもしれない。しかし、「言わなくなった」のではなく「何も言えなくなっている」ようではいけないのだ。自身の生活を営む上で夕焼けを見て綺麗だと感じたり、なぜこの前までトマトが安かったのだろうかという疑問を投げかけて答えを探したり、そういった細かい”気付き”を心が受け取れなくなっている、感性の摩耗が起こっているのではないだろうか。このように不安を感じるのである。

 別段ブログの記事をたくさん出しているから偉いだの、以前の自分に比べてこざかしくなっただのと、他者や自分を貶めるつもりはない。アウトプットの頻度はインプットにも影響されるので、自身の量が少ないのはインプットの質も量も落ちているからと説明できるし、他者のアウトプットの形や方向性はひとそれぞれなのでイラストや諸活動で表れてくるだろう。

 通勤途中で読んでいる本から感銘を受けたり、Twitterで何気ない一言を拾って想像を豊かにしたり、コンテンツの一消費者でもただそれを娯楽として享受するのではなく、何かしらの形へと還元できたら…ブログの投稿数は過去と違えども過去の自分を怖がることがなくなるのではないだろうか。というアウトプットを1個残しておく。

 p.s.2019年の11月と同じ月更新数(月に6本)になっている。文字数などは違えども、こういったアウトプットの作業は忙しくも楽しく、自身にあっているのでいるのが間違いだろう。ここでアウトプットできなくなった自身の治し方は語るつもりはない。無理にそうしなくてもいいし、語りたくなったら語れるのだろう、という体験談を自分は持ったわけだから。